三木浦町のきほん

三木浦の漁業

三木浦町は古くから遠洋漁業の基地として栄えてきました。大正13年創業の長久丸は、遠洋延縄マグロ漁船6隻・近海カツオ一本釣り漁船1隻を保有する網元です。湾内や沿岸ではマダイの養殖と伊勢エビ漁も盛んな漁業の町です。

養殖真鯛

真鯛やブリなど養殖業が盛んな尾鷲市で、三木浦は先進地。近畿大学水産研究所の協力を得て、三協水産の三鬼誓郎さんが真鯛の養殖に着手。その後、東京の築地まで売り込み、過去には30を超える業者が商いをし、養殖真鯛の拠点となりました。栄養分の多い海のきれいな三木浦で、より天然に近い状態で育まれています。

真鯛の出荷場

リアス式海岸の尾鷲。内湾は熊野灘の荒波から隔離され、おだやかで水深もあり、冬でも水温が温暖なため養殖に適しています。養殖筏が湾に連なって凪ぐ三木浦では、より天然に近い状態で真鯛を養殖し、活きの良さはもちろん、身の締まり、鯛の持つ甘みも抜群。
問い合わせ:三重外湾漁協紀州南支所三木浦事業所 ☎0597-28-2311

ヤブツバキの油

夏の暑い時期にヤブツバキの実を採取し、天日干しにしてカラをはじけさせ、実を涼しい日陰で保存します。これを砕き機にかけて細かくし、布袋に入れて15分蒸したものに圧力をかけ油を絞り出します。ツバキ油に地元特産の養殖真鯛を使ったカルパッチョなどの料理が試作されています。
問い合わせ:おわせつばきの会 ☎0597-28-2313

西行歌碑(さいぎょうかひ)

高野山から新宮を経て、海路より伊勢二見浦へと旅をした西行法師。旅の途中、三木浦で詠んだと思われる歌が『山家集』におさめられています。「年経たる浦の海士人言問わん波をかづきて幾世過ぎにき」

五輪塔(ごりんとう)[尾鷲市指定文化財]

高さ150センチの江戸初期の大型五輪塔。上から3番目の火輪が欠如していますが、地輪に「寛永十九暦五月二十五日 源花智水信女」とあり、戒名の上に梵字で象徴標示した「キリーク・阿弥陀如来」が刻まれています。

三木城跡(みきじょうあと)[尾鷲市指定文化財]

豪勇・三鬼新八郎の地の利を得た堅城。新宮の堀内氏善が勢力拡大のため天正3 年(1575年)に落城。新八郎は上北山村へ落ちのび、その後、紀伊長島城主・加藤甚五郎が急襲。堀内は2000の兵力を率いて夜討ちをかけ、度々の戦場となりました。

三木神社(みきじんじゃ)

江戸時代には松尾大明神(神武天皇の兄君・ミケイリノミコト)といわれ、慶長19年(1614年)、三木里より三木浦に移されます。『紀伊続風土記』にはは次郎明神社とも。昭和に盛松神社も合祀されました。

雲居山龍泉寺(うんごさん りゅうせんじ)

慶長6 年(1601年)、法念寺四世周峰千徹が草創。元蔵福寺といい、九世仙徹のときに龍泉寺となります。本尊は万治元年(1658年)の銘のある木造地蔵菩薩半跏像です。

稲荷神社(いなりじんじゃ)

御祭神は五柱大神の中の、田中大神(タナカノオオカミ)と伝わります。京都の伏見稲荷大社から配祀した五穀豊穣、農業のの神ですが、漁師たちの信仰篤い稲荷さんです。

福寿山海蔵寺(ふくじゅさん かいぞうじ)

慶長16年(1611年)、法念寺四世周峰千徹が草創。元盛松にありました。本尊は木造薬師如来坐像で、ほかに観音菩薩、地蔵菩薩、韋駄天菩薩等をお祀りします。

浅間神社(せんげんじんじゃ)

311号にある鳥居が目印。歩いて10分ほどでコノハナサクヤノヒメを祀る浅間神社に辿り着きます。山上の石室には修験者の石像を安置。集落に悪魔や悪病の入るのを防いでくれる神様です。

波切不動尊(なきりふどうそん)

浅間さんの隣にある赤い鳥居。ここには不動明王を祀ります。三木浦の漁師さんが海上安全、大漁満足、村の繁栄を祈願したのがはじまりと言われ、明治年代にはすでに存在したとのこと。

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